終戦後の混乱した状態の中、新体制による教育が始まり、本校も昭和23年から「群馬県立松井田高等学校」としての歩みを始めました。このとき、「高等学校としての校歌が欲しい」という声がおこりましたが、学校に予算がないということで実現できませんでした。そうした中、昭和25年に音楽部が県合唱コンクールで1位に入賞しました。この機に乗じて、生徒の中から廃品回収による自主的な「校歌制定のための募金」が始められました。
昭和28年夏に学校の資金と合わせて総額5万円が集まり、作曲を山田耕筰氏に、作詞を鈴木比呂志氏に依頼することに決定しました。地元の鈴木先生は、早速来校され、学校の意見を聞いてくださいました。鈴木先生は、「夢と愛情と若さとがすべてです。あの日斉藤校長のご案内で二階の窓からむらさき匂うばかりの白雲や金鶏、金洞の峰々を眺め渡したとき、何か激しい情熱にかきたてられました。」と語っています。歌詞は、全日制,定時制の両課程を、朝の妙義と夜の碓氷川で表現し、1番では気品、気概をうたい、2番で生徒の純粋性をたたえ、3番で若草のように生徒も学校もすくすく伸びて欲しいという思いが込められています。
作曲の山田耕筰氏は、「赤とんぼ」など数々の名曲を生み出した日本音楽界の巨匠であり、校歌を依頼するのにはあまりに遠く高い存在でした。しかし、「鈴木先生に作詞を、山田先生に作曲をという基本方針を立てて校歌制作の運動を進めてきました。いまさら引き返すわけにはいかないのです。ぜひ私たちの願いを聞き届けてください。」という生徒の情熱を、鈴木先生が懸命なご尽力で山田先生に届けてくださいました。
昭和29年1月に校歌が完成しました。山田先生は、「これは純粋な生徒諸君に捧げます」と言われました。
世界的に有名な山田耕筰氏の作曲による本校の校歌は、このように、先輩たちの運動の中から生み出されたものです。私たちはこの校歌を誇りをもって歌い継いでいます。 |